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TPPを考えるときの一助になれば〜比較優位の原則〜

 現在、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)が各所で議論になっています。TPPに関する議論は、それぞれの国のさまざまな思惑が重なりあってはいますが、表面上、自由貿易を指向した協定で、国際法の分類上「国際経済法」に属するものです。大学の学部で、国際経済法について少し勉強した程度の知識を元にで申し訳ありませんが、みなさんがTPPの問題を考える際の一助になればと思い筆をとらせていただきます。

自由貿易

 TPPについて考えるためにはまず、TPPの表面上の目的である「自由貿易」がどのようなものかを知らなければいけません。そもそも自由貿易とは、 * 輸入の禁止などをしない * 国際競争力の弱い産業に補助金を出して保護したりしない * 関税を下げる といったことを世界各国足並みそろえておこなって、自由に貿易ができるようにしましょうということです。

 一見すると、自由貿易は、国際競争力のある国ばかりが有利にはたらく条件のようにみえるかもしれません。たしかに、自由化のすすめ方やどの程度まで自由化するのかといった点では議論にはなっています。しかし、自由貿易を目指すという点では、国際社会で意見が一致しているところなのです。自由貿易に関する議論や裁定を行うWTO加盟国が、150ヶ国以上あることから判断できるかと思います。なぜ、経済力や技術力が高い国ばかりではなく、発展途上にあるような国も含め、自由貿易を進めるという点で国際社会の意見が一致するのでしょうか。それは、自由貿易が次の2つのような考えに基づいているからです。

 TPPについて考えるとき、ブロック経済政策の方の説明から入りますと、「200ある国の中の一部の国の間だけで結ぶTPPは自由貿易を本当に目指すことになるのか」など、非常にややこしいので、今回はわかりやすい「比較優位理論」について、簡単に説明しようと思います。

比較優位理論

 さて、人口が同じA国とB国の2国で世界がなりたっていると仮定しましょう。

 この世界には、イとロの二つの産業があります。A国のインフラ・環境などは、ロ産業を行うのに適しています。対してB国は、イ産業、ロ産業ともにA国よりも効率的ではありませんが、どちらかといえば、イ産業のほうが得意です。

 仮にA国、B国がイ産業、ロ産業にそれぞれ50%づつ同じだけヒト・モノ・カネをつぎ込んだとしましょう。

 A国で、イ産業から生まれる富は45、ロ産業から生まれる富は50、B国で、イ産業から生まれる富は40、ロ産業から生まれる富は10とします。A国とB国で生まれた富を合計すると、145ということになります。

 次に、A国、B国、それぞれが苦手とする産業に力を入れたとしましょう。

A国で、イ産業から生まれる富は90、ロ産業から生まれる富は0、B国で、イ産業から生まれる富は0、ロ産業から生まれる富は20です。A国とB国で生まれた富を合計すると、110ということになります。

 最後に、A国、B国それぞれ得意な産業に注力した場合を考えてみましょう。

A国で、イ産業から生まれる富は0、ロ産業から生まれる富は100、B国で、イ産業から生まれる富は80、ロ産業から生まれる富は0です。A国とB国で生まれた富を合計すると、180ということになります。

A国B国がすべての産業に同じだけ注力した場合に生み出された世界の富の総量が145、A国B国がそれぞれ苦手とする産業に注力した場合に生み出された世界の富の総量が110、A国B国がそれぞれ得意とする産業に注力した場合に生み出された世界の富の総量が180

 それぞれの国が、インフラ、ヒト・モノ・カネなどの要因から判断して一番得意な産業に注力すると、世界の富の総量が一番増える・・・これが「比較優位理論」です。比較優位理論のもと世界規模で分業して製品を製造し、その製品を自由に行き来させることが、世界の富を最大化して、世界経済を安定させ、そして世界平和につながるではないか!というのが、国際社会が自由貿易を目指している背景の一つなのです。

 注意しなければいけないのは、「比較優位」という言葉の中で比較しているのが「自国の産業の中での効率」という点です。他の国に規模・効率ともに勝てる産業が一つもないという場合でも、その国が一番得意な産業に注力すれば、計算上、世界の富の総量は増えることになります。ちなみに、将来にわたって今現在、得意な産業に注力しつづけなくてはいけないかということではなく、経済発展の段階やその他の要因によって刻々と変わるその時一番得意な産業に注力していけばいよく、WTO協定やTPP協定では、得意な産業が変化することにも対応できるよう、投資や技術移転についても促進しようということになっています

 しかし、実際の経済が、理論通りに動くかという問題をぬきに考えても、自由貿易にはたくさんの問題があります。

 たとえば人件費のやすさを強みとする国の人権を軽視した作業により組みたたてられたスマートフォン。積極的に使いたいとおもうでしょうか。やすいし供給も安定しているけれども味や食感が自国の料理に合わないお米。毎日食べたいでしょうか。公開される映画が、VFXもストーリーも素晴らしいけれど、心のどこかでちょっとひっかかるものがあるようものばかりになったらどうでしょうか。

 TPPが目指している「自由貿易」の究極の姿は、極論ですが、環境に悪い製品も、人権が軽視された工場でつくられた製品も、独特の文化を衰退させるような製品も、関税などの貿易障壁がなく自由に貿易できる世界です。しかし、環境も人権も文化も、どれも上下つけがたく人類にとって同様に重要です。(と、自分はそう思います)

 ですから、TPPの議論をアメリカがどうだとか政治的な問題をぬきに「今、自由貿易をすすめるべきか」という問題に単純化して考えたとき、「不自由な貿易によってもたらされる不利益」、「自由貿易から得られる利益」、「自由貿易を進めるスピード」そして「環境・人権・文化などから得られる豊かさ」、これらのバランスはどういう具合がいいか、そしていまそのバランスはどういう具合になっているか。そういうことを一番最初に考えなくてはいけないのだと思います。

比較優位理論を・・・〜おまけ〜

 貿易障壁がないとはいえ、国内の作業分担は比較的うまくいっているように思えます。ある地域は農業が盛んだし、ある地域は工業が盛んで。そういう意味で、比較優位の理論はある程度、実感をともなったものです。しかし、それが文化も経済力も言葉も価値観も違う、国と国という単位で適用したときどれだけ世界の「富」の総量を増やすことができるのか。それは少し疑問に思っているところです。そもそも、比較優位の理論を適用するには国という単位では粒が大きすぎる。そう思ったりもするのです。

 だから逆にこの理論、小さい粒に適用して使いましょう。計算上、国の縦軸、産業の横軸、いくら増やしても「自国の一番得意なものに注力すれば世界の富の総量は最大化する」ということが成り立ちます。1000でも、10000でも。そして、70億の国に、70億の産業ということにしても。つまり・・・つまり、比較優位の理論を適用するのを「国」という単位ではなく、「人」という単位にしても、比較優位の理論の計算式は成り立つはずです。比較優位の理論では、「比較するのは、他国と自国ではなく、自国の中」というところがポイントでした。国ではなく人という単位まで細かくして比較優位理論を適用してみる。各個人それぞれが、たとえ世界で1番になれるものでなくても、得意なこと、やっていて一番楽しいことに注力する。そうすると、世界の富の総量、世界の経済の安定、そして、世界の平和(笑)に寄与できる、比較優位の理論をもとにそういうふうに考えることはできないでしょうか。

 国際経済法の勉強は、あっちをたてればこっちがたたずという議論ばかりでモンモンとすることばかりだったのですが、「比較優位の原則」だけは、「得意なことを伸ばそう。一番近くにいる家族を大切にしよう。それが、社会のためにもいいし、自分のためにもいいんだ」と、今、日々生活する中で大きな指針となっています。