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ポップ音楽を制作する上での正しい道

平成15年08月06日AM 01:36:19

 なんか、知らないけど、日テレが終わっちゃった。 ねよーっと。おやすみなさい。

 岸本早未さんと、玉置成実さんの見分けがつかない今日この頃。 岸本さんだと思ったら、 玉置さんで、 玉置さんだと思ったら、岸本さんだったり。 あぁ、GIZA好きも、そろそろ引退かな。

 あと、小松未歩好きに100の質問に答えたので、興味あるかたはどうぞ。

追記

 岸本早未さんは、当時流行していた玉置成実さんなどを代表とするダンサブルな音楽シーンに対して、GIZA Studio が送り込りこんだアーティストでした。当時、GIZA Studioという音楽レーベルは、「宇多田ヒカル」などR&B系でライブを重視しないスタジオ音楽に対する「倉木麻衣」であったり、「浜崎あゆみ」などギャルのカリスマ系歌手などに対する「愛内里菜」であったり、盛り上がっていて、一定層ファンがいるジャンルに後追いでアーティストを送り出す戦略をとっていました。岸本早未さんもその戦略の中で活躍した方であったように思います。

 GIZA Studio、もといBeingは、1990年代、B'z、ZARDField of ViewDEENWANDSなどなど「Being系」と呼ばれるシーンを作りだせるほどの影響力をもっていましたが、2003年当時はBeingのブームも終わり、かつてほどシーンに対する力はなく、盛り上がっているジャンルに対してフォロワーを送り込むという戦略を取らざるをえなかったことが推測できます。盛り上がっているジャンルであれば、情報バラエティ等の「今、○○系の音楽が熱い」などといった形の特集の中でで効果的に宣伝できますからね。実際、最初期の倉木麻衣は、音楽番組等で宇多田ヒカルと一緒に紹介されて名前がどんどん売れていったように記憶しています。

 高校生当時の自分は「GIZA Studio」と「オリコンランキング上位」という小さな観測範囲で音楽を楽しんでいました。「GARNET CROW」や「小松未歩」など、J-POPのメジャーではないところ音楽をやっていたアーティストを主に応援していた自分は、好きなレーベルが、盛り上がっているシーンの後追いばかりしているという姿をみて辛さを感じていたのでしょうね。それが「岸本早未さんと、玉置成実さんの見分けがつかない」「GIZA好きも、そろそろ引退かな」という思いにつながったのだと思います。

 しかし、GIZA StudioやBeing系の音楽に対する情熱が薄れた今になって客観的にみると、盛り上がっているシーンに対してフォロワーを送り出すという戦略は、当時のGIZA Studioのシーンに対する影響力を考えてとてもまっとうな戦略であったように思えます。さらに、よくよく考えれば、そもそもBeing系といわれるブームまで起こせたのも自分達で生み出したシーンにどんどん自分達でフォロワーを送り出していたことによるところが大きかったでしょう。加えて一部のコアな音楽ファンは、それぞれのアーティストを細かくジャンルに分類して「系譜」とかいうものを語って楽しんだりしています。ですから、自分が高校生のとき、すこし違和感を覚えていた「流れに逆らわない」という当時のBeingの戦略というのは、ポップ音楽を制作する上での正しい道であり、Beingのそもそも得意としているところであり、また、音楽シーンでの生存戦略としても正しく、何も後ろめたいことはなかったのだよなと、今では思っています。(2018-04-28)


 この記事は、自分が運営していたasme!という上原あずみさんのファンサイト内のコンテンツとして書いた日記を再掲したものです。当時は高校生でした。(2018-04-30)


  • 2003-08-01 初版公開
  • 2018-04-28 追補・再公開
  • 2018-04-30 リフォーマット