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裁判所と速記

 裁判というのは、判決にその重要性が集中しますし、もともと誰でも傍聴できるものですから、国会ほどは記録を残す必要性はないといえます。しかも、裁判は全国各地で行われますから、そのすべてを記録するとなると、国会にくらべて大量の速記者が必要です。

 しかし、国会につづき、速記の活躍の場を広げたかった速記者たちは、 裁判の速記に着手していきます。最初に速記されたのは、1883年、高等法院 (皇族・皇室・国事に関する犯罪を扱う特別法定)の審問弁論だといわれています。 この後、大阪事件、5・15事件など重大な事件の傍聴録が速記されました。 これは、報道のため、弁護に役立てるための起用であり、記録のためではありませんでした。 1926年には、民事訴訟法、刑事訴訟法が改正されましたが、 「速記を、証拠として利用できる公式な記録とする」という速記者たち念願はかなわず、 「必要ならば速記することができる」程度のものでした。 記録としての裁判速記が実現したのは、 戦後、GHQの要請によってです。1948年に改正された規則には、 「裁判所速記官」という役職が定められました。 最大のときで800人以上、現在でも500人近くが速記官として働いており、 速記界最大の就職先となりました。 国会とはちがい、機械によるものも可能だったのも特徴的です。 これは、欧米で特殊なタイプライターによる速記が裁判記録に利用されていたことが影響しているのでしょう。 このため、速記官たちは、「ソクタイプ」とよばれる特殊なキーボードをもつ機械も積極的に採用し、 改良を加え、技術者も養成していきました。

 しかし、転機は訪れました。1993年、最高裁判所が、速記官制度の再検討をはじめたのです。 最高裁判所は、録音からの裁判録作成を実験し、1997年、これが可能であることを結論づけました。 これにともない速記官の養成もストップしました。特殊な機械である「ソクタイプ」を供給が難しいこと、 希望者の減少によって速記官採用が難しくなことが予測される、などが理由でした。

 現在働いている速記官が退職し次第、すべて外注による裁判録となるでしょう。 現在、記官たちは、自分たちで後継者を育成したり、機械式速記に必要な特殊な機械を自費で改良したり、 反訳の効率化などを試みて、速記官養成再開を最高裁に求め続けています。弁護士、裁判所職員などの支援を受けながら、「裁判速記官を守る会」も発足しました。聴覚障害者のために、ボランティアで講演にリアルタイムで字幕をつけるなどの活動も精力的におこない、速記の有益性をアピールしています。 講演や講義、会議などがリアルタイムで文字情報として記録、蓄積されるというのは、情報化社会において非常に有益なことです。もしかしたら、裁判所で速記官の姿を見ることはできなくなってしまうかもしれませんが、速記官たちが実現しようとしているリアルタイムでの文字化の試みは、かならず役に立つに違いありません。