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史伝『渋江抽斎』森鴎外 ~ 短い日記のリライト

 自分の過去の文章を、ブログというひとつの表現形式でまとめようとおもったとき、短すぎる文章の扱いに困ったのでした。文章自体にはほとんど価値がないのだけれども、時間軸と結びつくことによって重要性のようなものを帯びるため、なんともむげにも扱えない、そういう文章については、たとえば森鴎外の代表作『渋江抽斎』のような「史伝」の表現形式とって、追記・補足をして充実させていってみる手があるのではないかと考えています。

森鴎外渋江抽斎』とは。

渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

森鴎外 渋江抽斎

 そもそも「史伝」という表現形式はどのようなものでしょうか。森鴎外といえば『高瀬舟』『舞姫』のような歴史小説が教科書なんかにも載っていて有名ですが、史伝である『渋江抽斎』も代表作の一つです。どういうお話かというと・・・お話じゃないかもしれないですね。渋江抽斎という実在の人物について、歴史の教科書のような事実の列挙で本人について描写したかと思えば、歴史小説のような渋江抽斎が主語の小説風の文章が混ざり込む。関連人物の描写に脱線したかと思えば、作者の想いや自分自身の行動を描写したりする。いや、森鴎外は小説家でもありますので、「わたくし」というのは森鴎外自身ではなく、創作上の人物なのかもしれない。

 人物評であり、歴史小説であり、同時にエッセイである。実在の人物をテーマに縦横無尽に表現する。他のどんな表現形式でもなく森鴎外渋江抽斎』は事実と創作、過去と現在が入り乱れる構成、まさに「史伝」としかいいようのない表現形式の文章なんです。

短すぎる日記を「史伝」としてリライトする

 さてさて、冒頭でも書いたように、mixiや過去の日記、twitterのつぶやきなんかをHatena Blogに移行しようと思って悩ましいのが「ブログ」という表現形式にしては、あまりに短すぎて、人様に読んでもらうにも自分であとで読み返すにもものたりない文字量の日記の存在なんですね。たとえば、この日記です。

aods1004.hatenablog.jp

 ブログ運営の指南なんかをよむとそういうのは消してしまうのがいいとまで書いてありますが、こういう文章こそ昔の思い出や記録として残しておきたいし、一箇所にまとめておきたい。逆に「短い」という事実から「忙しかった」「熱意がなかった」「毎日記録をつけたかった」などなどわかることもたくさんあると思うのです。かといって、複数の短文をまとめしまうのも、時間軸が重要な意味をもつブログという表現形式にそぐわない。かといって、書き直しをして長くしたら嘘になってしまうし、当時の生の文章は虚空の彼方にいってしまう。そこで思い出したのが「史伝」という表現形式でした。

 扱いにこまるけれども重要な「短すぎる日記」は、実在の人物である「過去の自分」についての本当のことをベースに、そこに作者である「現在の自分」の想いや創作を加えることによって、自分で書く自分の「史伝」として表現する。そうすることによって、どんな短文も、時間軸にそって1ページ1ページが完成した文章をつづっていく「ブログ」という形式にあうような文章として生まれ変わるのではないかなあと考えています。そうすることで、きっと、10年後、20年後、また未来の自分が自分の日記を楽しく読めるのではないでしょうか。

Webライティング

 さてさてまた、こんなふうに、ブログという表現形式の特有についてあーだこーだと考えるのがとても楽しくて、もっと詳しく知りたいと思ったので、Hatena Blogに新しく「Webライティング」というカテゴリをつくりました。さっそく、Webライティングに関する書籍なんかをAmazonでポチりましたので、このカテゴリーをつかって、Webライティングに関する書籍のレビューやら実践なんかをしていきたいなあと思っています。この分野に興味がある方は、乞うご期待です。

最後に

 最後まで見て頂き、どうもありがとうございます。気になった点などありましたら、ぜひコメントしてください。

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  • 2018-04-23 初版公開