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質問の良し悪しを言うことについて

よく「それは良い質問だね」という人がいる。あれはどうなのか。

よく聞く話だが、日本人は質問をしない傾向にあるという。欧米の大学などでゼミ形式の授業をやると質問がどんどんよせられるが、一方、日本の大学などでゼミ形式の授業をやると、みんな黙りこくってしまう。例外は多数であろうが、これまでの経験、大学や高校の授業、就職活動やを通じて、日本人は質問をしないという一般的な傾向は認められるのではないかと感じている。

そういう日本人に対して「それは良い質問だね」というとどうなるか。

  • 「今抱いている質問が悪い質問であったら、いやだ。」
  • 「質問するときは、良い質問でなければいけないな。」
  • 「よい質問はどうやって考えればよいのだろうか。」
  • 「この質問に似た質問で、以前よい質問といわれたが、この別のプレゼンターは良い質問ととらえないかもしれないな。」
  • 「前の人が良い質問といわれていた。自分のこの質問がよい質問といわれなかったら恥ずかしい。」

で、

  • 「質問はやめておこう」

となり、質問を抑制することにつながらないか。よい質問をしたと褒められた質問者は鼻がたかくてうれしくて、また質問をしようとするかもしれないが、それ以外の聴衆は、質問をひかえ、「質問したかったけどできなかった」などと、プレゼンテーションに対してネガティブな感情が残ることにつながらないだろうか。そんなことを思うのは僕だけであろうか・・・。

 さらに、この発言には、質問をする聴衆を見下すような発言であるととらえられてもおかしくないような成分が含まれているように感じる。

 ただでさえ、なんでも知っているプレゼンターに、なんにも知らない質問者という時点で上下関係は明らかだ。その上、質問の良し悪しを判断するなどとすることによって、プレゼンターは、よくものごとを理解している被質問者という属性に加え、判定者、審判としての身分も自分にあたえることになる。この発言をするプレゼンターは、自分を上にあげ、聴衆を下にみすぎではないだろうか。むしろ自然発生的に発生した上下関係を解消するために、

  • 「質問、ありがとうございます」

などとへりくだって、聴衆の目線に降りていくくらいがよいのでは?

 べつに、質問を減らそう、聴衆が馴れ馴れしいので上下関係を明らかにしておこう、質問をしたまさにその人のみを褒めて伸ばしたい、などと思っての発言ならばよいのだが、この「それはよい質問だね」は、もっと、質問をしてもらおう、もしくは、何の考えもなしに、よりよい情報を大衆に与えることができて単純に満足だ、などと考えられて発言されていることが多いように感じる。

 もし、自分がプレゼンテーションをして、もっと質問をしてもらいたいなどと考えて、おもわずこの言葉が出てきそうになったときには、立ち止まって考えてみたいと思う。